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―――ギシッ……ギシッ……

 

  階段を上ってくる音。刹那、嫌な予感が頭をよぎる。見付かっちゃいけない……捕まっちゃいけない……見付かったら、捕まったら……殺される!

 

  「っ!?」

 

  クローゼットに飛び込み、開けられないように扉を抑える。必死で震えをこらえる。

 

―――ギシッ……ギシッ……

 

  段々とこの部屋に近付いているのか、足音が大きくなってくる。ピタリと、この部屋の前で足音が止まったかと思うと、金切り声の様な音を立てて扉が開いた。

 

―――うう……うぐ、あぁ……

 

  耳障りなうめき声、きしむ床板……よせばいい物を、クローゼットの隙間から室内を覗いてしまった。

 

  「……っあ」

 

  口を押え、上がりそうになった悲鳴を堪える。

  本来眼目のある場所にぽっかりと空いた穴、生気のない青白い肌、だらりと前に伸ばされた腕……誰がどう見ても、生きている人間だとは思わないだろう。長い茶髪とカチューシャで、かろうじて女性だと分かるそれが、何かを捜し回るように部屋の中を徘徊している。

 

  「ぁう……あ……あぁ……」

 

  広がる腐臭と異様な光景に足がすくむ。一瞬、目が合った……気がした。

 

  「っ!」

 

  声にならない悲鳴を上げる。ぽっかりと空いた二つの穴から、目が離せない。いったいどのくらい、その硬直状態が続いただろう。実際には数秒だったのかもしれないけど、数分にも数時間にも思えた。先に動いたのは、向こうの方だ。何事もなかったように、扉から出ていく。気付かれていなかった、の?

 

  「何……何なのよ、あれ……」

 

  緊張から解放され、全身から汗がどっと噴き出る。脳裏にこびりついている〝あれ〟は、化け物と言っても過言ではないだろう。

 

  「早く……早くここから出ないとっ……!」

 

  クローゼットを飛び出し、そういえば枕の中に鍵らしきものがあった事を思い出す。この家から出るには、先に進まないといけないのだろう。

 

  「分かったわよ……やってやるわよ!絶対にここから出ていってやるんだから!」

 

  こんな所で死にたくなんてない。部屋を飛び出して、一目散に階段を駆け下りて地下の倉庫へと向かう。

  携帯電話の明かりを頼りに再び倉庫を探すと、記憶していた通り、棚の上にカッターがあった。

 

  「よかった……あった……」

 

  キチキチと刃を出すと、錆びてはいるがまだまだ切れそうだった。殺傷能力はないまでも、あの化け物が襲ってきたら怯ませるくらいはできるかもしれない。刃を仕舞い、鞄に入れようとチャックを開けた。

 

―――ガチャ……ギィイィ……

 

  倉庫の扉があく音がした。続いて、こちらに近付いてくる足音。

 

  (まさか、見付かった……?)

 

  ガクガクと足が震え、嫌な汗が噴き出る。

 

  (大丈夫……大丈夫……襲われても、カッターで……)

 

  鞄に入れようとしたカッターを、こっそりと刃をだし隠し持つ。反対の手に携帯電話を構える。そうしてる間にも、足音は私の方に近付いてくる。ついに気配が真後ろに来たと同時に、グッと肩を掴まれる。

 

  「っ!!」

 

  反射的に手に持っていたカッターを突出し、携帯の明かりを相手に向ける。

 

  「待て待て待て!落ち着け!俺だよ、俺!」

  「……え?」

 

  明かりに照らされたのは、見覚えのある顔だった。

 

  「あ……アレン……?」

  「そう、アレンだよ!だから、そのカッター仕舞え!」

 

  アレンの声を聞いた途端に、体から力が抜けて床にへたり込む。

 

  「お、おいユーリカ……?どうしたんだ?」

  「は、はは……驚かさないでよ……」

 

  やっとのことで、そんな言葉を絞り出す。立つ気力も失せていた。バクバクと心臓が音を立てる。

  ふと影が差した。見上げると、アレンの顔がすぐ近くにあった。

 

  「アレン……?」

  「うっせ……こういう時、どうすりゃいいか分かんないんだよ。いいから、黙ってこうされとけ」

 

  背中に回された腕の感覚が、段々と私の気持ちを落ち着けていく。

 

  「うん……ありがとう……」

  「おう……まあ、なんだ……ちょっとは落ち着いたか?」

 

  その問いに、キュッと腕を掴んで答える。手だけじゃなく、腕も冷たいんだなと思った。

  ここで、一つ引っ掛かった。なぜここに彼がいるんだろう。玄関には鍵がかかっていて開けることができないはずだ。その事を彼に聞いてみる。

 

  「あー……ええと……見えた……そう、見えたんだ。いつもみたいに公園にいたら、この家の窓からアンタの姿が見えてさ……心配で。ほらここって、幽霊屋敷って呼ばれてるだろ?」

  「あれ?じゃあ、普通に玄関から?」

  「え?あ、ああ。普通に」

  「それ、いつ?」

  「は?つ、ついさっきだけど……なんで、そんな事……」

 

  アレンが言い終わる前に、私は倉庫を出て玄関へと向かう。アレンの話が本当なら、玄関の鍵は開いているという事になる。ようやっと、ここから出られる!

  期待を胸に秘め、玄関のドアノブを回す。が、その期待とは裏腹に、ドアノブは固く回すことができなかった。呆然としていると、後ろからアレンが駆け寄ってくる。

 

  「おい!どうしたんだよ、いきなり!」

 

  私は、アレンに答えを返すことができなかった。

 

  「ユーリカ……?」

  「ア、レン……」

 

  裏切られた期待と、またあの化け物に遭遇するかもしれないという恐怖で、声が震える。

 

  「玄関が……開かないの……」

  「え……?」

 

  アレンはドアノブに触れ、次に玄関の構造を確認して、軽く舌打ちをする。

 

  「面倒くせぇ構造だな……本当に……」

  「もう……いや……」

 

  震えが止まらない私の顔を、アレンが覗き込む。

 

  「ユーリカ?……まさか、ここで何かあった?」

 

  かろうじて頷く。でも、詳しく話しても大丈夫なんだろうか?よくよく考えてみれば、得体の知れない影に階段から突き落とされ、あんな化け物を見た。こんな事、普通は信じてはもらえない。

 

  「何が、あったんだ?」

  「……いい。話したところで、どうせ信じてもらえるわけがないから」

  「今さっき開いた扉が開かなくなっただけでも、十分現実的じゃないけどな。そんな顔してるアンタを、無視するわけにいかないだろ?」

 

  ポンポンと頭に手が乗る。その言葉に安心し、軽く頷いてこれまでの経緯を説明する。その間、彼は笑ったりせず、真剣に話を聞いてくれた。

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